アドラー心理学といえば、心理学を勉強していなかったりあまり興味がなくても一度は耳にしたことがある言葉なのではないかと思います。
内容や意味がわからなくても、インターネットやテレビなどのメディアでなんとなく話題になっているなと感じたことがあるでしょう。
昨今注目を集めるアドラー心理学
元々アドラー心理学というのは古くからあったものですが、脚光を浴びるきっかけとなったのはある一冊の本でした。
「嫌われる勇気」と題されたその本は一躍注目を浴び、関連書籍も数多く出版されました。
「嫌われる勇気」は関連書籍出版に留まらずドラマ化までされたという人気ぶりです。
そのドラマは心理学会から抗議文を発表されてしまうような内容だったようですが、それでも知名度の向上には十分な効果を発揮したことでしょう。
その本では題名の通り嫌われる勇気がアドラー心理学の真髄であるということが記載されているようですが、それは一体どういうことなのだろうと興味を持ったこともあるかと思います。
そうして本を実際に読んでみたり調べてみたりして、よりアドラーについて知りたくなるという方も増えているのです。
しかしアドラー心理学に感化された人が「アドラー心理学ではこういうときはこうで~」といったように何かにつけて心理学を持ち出すようになるという困った状況に陥ることもしばしばあるようです。
そのように感化されすぎてしまうことは禁物ですが、どのようにしてこの心理学が生まれたのかなどを知っておくことで、自分に対する理解が深まる部分もあるでしょう。
アドラーの人生から発展した心理学
そもそもアドラー心理学とはどのようなものなのかというと、名称の通り精神科医かつ心理学者であるアルフレッド・アドラーが作り出し、その教えに賛同した後継者たちによって更に発展してきた心理学です。
アドラーはハンガリー系ユダヤ人の父とチェコスロヴァキア系ユダヤ人の母、そして五人の兄弟という大家族の中で育ちました。
アドラー自身体が弱く肺炎によって生死の境をさまよったこと、三歳年下の弟がジフテリアによって1歳という短い命を終えたことなどが医者になるきっかけとなった出来事であるといわれています。
アドラーは医者になり診療所を始めた際、患者の中に幼いころ病弱だった体を克服するだけでなく、更に強くすることで生計を立ている人たちが少なくないことに気が付きます。
それが後のアドラー心理学における「器官劣等性」を思いつくことに繋がったといわれているのです。
そしてその後、かの有名なフロイトの研究グループに招かれることになりました。フロイトといえばアドラーと同じかそれ以上に現代でも知名度が高い心理学者ですね。
小説などのフィクションでその名前を見る機会も少なくないでしょう。
そんなフロイトの研究グループに参加したアドラーですが、初めはフロイトと同じ考えであったのが次第に彼独自の考えを抱くようになります。
その意見はフロイトと完全に違うものに変わっていき、その結果アドラーはグループを抜け、彼に賛同する仲間とともに自由精神分析協会、後の個人心理学会を設立するに至ったのです。
この個人心理学というのはアドラー心理学の正式的な名称にも使われています。
その後第一次世界大戦に軍医として出向き、怪我や病気の兵士たち以外にも精神的な症状を抱える患者を見ることが、自身の心理学を発展させていく基盤となりました。
その後も児童相談所を設立するなど子どもたちのためにも尽力しています。
つまりアドラー心理学とはアドラーの人生そのものであり、その真髄はアドラーの人生経験にあるともいえるのです。
アドラー心理学がおすすめできる人
アドラー心理学はアドラーの人生や考え方がすべての基盤であるともいえるものですが、すべての人に向いている心理学ではないといわれています。
嫌われる勇気が真髄であるとする本がある通り、少し心に刺激的な部分も少なくありません。
現在トラウマになりうる経験の真っ只中であったり、渦中は脱したけれどまだ完全に心の傷がいえていない状態など不安定な精神状態で実践してしまうと、余計に傷を深めることに繋がる恐れがあるのです。
それは自分自身で学ぶ際にもそうですし、そのような状況に置かれている友人知人に対する際にもいえることです。
アドラー心理学によって人を傷つけてしまうことはアドラーの本意ではないでしょう。
ではどのような人に向いているのかというと、つらい状況から抜け出し第二の人生への歩みを進めている方や、実現したい夢があるという方です。
夢はあるけれどなかなか足が進まない、自分ができないのはあいつのせいだなどつい人のせいにしてしまう自分を変えたい、そんな方にはおすすめできるのではないかと思います。
アドラー心理学は昨今人気となっていることから、本来のアドラー心理学とは離れた解釈をされてしまうこともあります。
トラウマなど存在しないという解釈は誤解であるといわることもある、といったことですね。
勿論それが自分のなかでしっくりくるものであれば良いのですが、そうでなければその考えや書籍を捨て去ることも必要です。
アドラー心理学は絶対というわけではないので、自分に合っていたら参考にする、ちょっと違うなと思ったらそっと離れるといったように、自分の意志を尊重しながら関わっていきましょうね。