いまだにはっきりとその光景を思い出すことができます。もう10年以上も前の話ですが。本当に不思議な体験をしました。
義父の突然の他界
長女が2歳になるほんの少し前、主人の父が突然亡くなりました。
病気の予兆もなく、数日前は旅行にも行っていました。一緒に旅行に行った方に伺っても道中ずっと元気そのものだったとのことでした。
私たち一家はその時はたまたま他県にいて、倒れた時も息を引き取った時も、そばにいることができませんでした。
義父はその日、屋外で作業していたのですが、どうも調子がおかしい、気分が悪いと言ったそうです。
冬の最中でしたが、その日は久しぶりに晴れていて暑かったため作業を頑張り過ぎて熱中症になったのかもしれない、家に入ってお茶でも飲んで休んだら…
と義母がすすめたところ、そのすすめに応じ義父が家に向かって歩き始めて数歩、突然倒れました。
義母が必死に声をかけても身体を揺すっても返事がないのですぐに救急車へ。
しかし義父は最後まで全く意識を取り戻すことができないまま数時間後、義母の看取りで亡くなりました。
ふさぎこんでしまった義母
亡くなった、との連絡を受けた私も主人も信じられず、とにかく急いで実家に向かいました。
そこからは実感が全くわかないままいろいろな手続きや葬儀を執り行い、なんとか一連の出来事を済ますことができました。
しかし義母は完全にふさぎこんでいました。あまりにも突然だったからです。
料理が大好きで手芸が大好きで町の役員なども多数引き受け、人とお話しすることが大好きな義母。
しかし義父が亡くなってからは台所に立つことも手を動かすことも誰か彼かに電話をかけることもなくテーブルに手を置き、じっと前を見ている、そんな姿ばかりでした。
娘はおばあちゃんが大好きで、実家に行くと自分の好きな料理をせがんだり、お散歩に連れていってくれるよう頼んだり甘えてばかりいました。
しかし彼女なりにおばあちゃんが大変な状況にいることは分かっていたようで、実家に行っても一人で静かに遊んでいました。
「それ」は起きた
そんな日が何日か続いたある日。「それ」は起きました。
いつものようにじっと座ったままの義母のところに娘が私を連れて行きます。
あれ?私を呼んだ声がしたっけ?と思いながらも娘のなすがまま義母の元に向かいます。
そして義母の前に私を立たせると、今度は義母の手を取り私と義母を握手させたのです。
私と義母もあまりのことに声も出せず、つながれたお互いの手を見るばかりでした。
しかしこの時私は感じたのです。
「ああ、義父が心配しているんだ、私と義母と手を取り合ってこれからも頑張ってくれと言ってるんだ」と。
義母と私、つながれた手を見て一瞬で、本当に一瞬で分かったのです。
娘を通じて義父の想いを受け取ったのです。
そして娘を見ると、なんというかうまく言えないのですが我が子ながら我が子じゃないような、すぐそばに顔はあるのに遠いところにいるような顔で私に向けてにっこり微笑むのです。
「そうだよ、助け合って頑張ってくれよ」とでも言うように。
「人が人に向ける想いは時間も空間をも超える」のだと思います。
亡くなった人からのメッセージ、なんていうと単なるオカルトだと思われそうなのですが、「人に想いを届ける」というのは人知を超えたとても崇高な、とても純粋な何かなのではないでしょうか。
目に見えないものだから信じられないというのではなく、目に見えないからこそその想いをただひたすらに届け、または受け止める。
そんなことを娘から教わったできごとでした。
そしておじいちゃん、娘は思春期に入って今ではおばあちゃんに反抗したりしてるよ。
でも今年のおせち料理は一緒に作っていたよ。
もちろん私も一緒に。
また時々はおじいちゃんの想い、聞かせてね。みんなで待ってます。