完全な熟睡状態で見る夢の中での出来事ではない。
かといって目が覚めている時の現実での出来事でもない。
夢と現実の間を彷徨う束の間の特殊な感覚と出来事を体験した人は意外と多いのではないでしょうか。
夢現(ゆめうつつ)の状態において研ぎ澄まされる特殊な感覚は名前をつけるとすれば何と呼べばよいのでしょう。
夢と現実がリンクする
たとえば夢から覚める間際の「ああ、これは夢なのだ、私は目覚めつつある」という自覚下において、外部の些細な音が大音響に聞こえて飛び起きることがありますね。
また、覚めつつある夢の中の物語で鳴っている電話や来訪者によるドアをノックする音と完全にシンクロした状態で、現実で電話が鳴りだしたり、来訪者がドアをたたくなど。
単なる偶然というには合致しすぎたできごとの経験はないでしょうか。
もっと不思議なのは、既に他界した心を寄せていた人との会話でしょう。
それは夢の続きで登場することもあれば夢現の時にポッと湧いたようにふいにやってくることもあります。故人となった家族や友人がそっと語りかけてくるのです。
姿を表すこともあれば声だけの時もあります。不思議なことにその故人が登場したからと驚いて目を覚ますことはありません。さも先ほどまで近くにいて一緒に過ごしていたかのように自然に会話を交わします。
夢現で察知する「虫のしらせ」
「そんなのはただ夢を見ているだけだ」と言う人もいるでしょう。
ところが夢現の中での故人との会話はしばしば初めて知る事柄も含まれるのです。夢の中での真実は経験則により導き出されるので未知の事柄は登場しないはずです。
たとえば夢の中で食べるチョコレートの味は香り豊かな甘さをしっかりと味わえますよね。ところが、テレビで見ただけの美しい異国の果物を口にしたからといってその美味しさを感じるわけではありません。
なぜならテレビで見たのでその外見は知っていても味わったことがないので夢の中で食しても無味無臭なのです。
夢とはそういう既に知っている経験済みの事柄しか正しく描けないはずです。
それに対して夢現の特殊な感覚下においての故人との会話では、生前の言い残した事や第三者との愛憎交えたかかわり、はたまた所持していた品の話など初めて知る事柄がふくまれます。
そして、完全に目が覚めた後に可能な範囲で検証してみた時に誤りが見当たらず会話のとおりだったりすることがあるのです。純粋な夢ではそういった情報は得られません。
残念なことにここで書いているような夢現の特殊な感覚について語る人はほとんどいません。ネットで検索しても似たような経験をしている人はいても詳細については不明なので同様のことなのか分からずにいます。
ある時、この件について友人に話をしたところ完全な同意ではないものの分かるような気がすると明かしてくれた人は数人います。
そのうちの1人は夢現の状態を夢の映像と薄目を開けた時の現実の光景が重なって見える唯一の時であり、俗に言う「虫の知らせ」を察知しやすいような気がすると話をしてくれました。
あちら側の世界を感じる
この特殊な感覚が一体どういう脳の働きで起きていることなのかは不明です。そこには複雑な仕組みがあるのだと思っています。
眠っている時だからこそ、脳の何らかの働きもあるのでしょう。ただそれは夢現の中で会話をするこちら側のことであり、会話をする相手側のことではありません。
つまり故人との会話は特殊な感覚下に置かれた人の脳と、そこに語りかけてくるあちら側が存在してこそ成り立つものです。
どちらも存在を証すのは難しいものであるが故に説明も難しいものです。
しかし、そういった不思議な能力は間違いなく人に備わっていて、証しようないあちら側の世界も普遍的に、しかもすぐ身近に存在しているのだと感じているのです。
私の友人のみならず、この不思議な能力についてはなんとなくでも分かるような気がするという人は意外といるのではないでしょうか。