もうかなり昔の話になります。祖母を早くに亡くし、私の話し相手はもっぱら祖父でした。
父にとってはとても厳しい祖父だったようですが、孫の私に対しては、とてもやさしく、いつもニコニコしていた、いいおじいちゃんだったのです。
私は親に怒られてはいつも祖父の部屋に逃げ込んで、一緒に絵を描いたり、ゲームをしたりしていました。
そんな祖父のお話です。
友達の家でのお泊り
あれはまだ私が幼稚園児だった頃、いつも仲良くしてくれた友達がいました。
その友達のお母さんは、私の母とも仲が良く、家族ぐるみで遊びにいったり、食事にいったりしていました。
ある日、その子の家にお泊まりをすることが決まり、私は楽しみで仕方ありませんでした。
祖父にその話をしてはしゃいでいました。祖父はそんな私を優しい笑顔で見守ってくれていました。
そしていよいよお泊まりの日、家族全員に送り出され、私は友達の家に行きました。いつもと違う料理に舌鼓をうちながら、夜は友達とそのお姉さんと三人でちょっと遅くまでずっと騒いでいました。
本当はもっと遊びたかったのに、子供という事もあり、強制的に部屋の電気を消され、寝る体制に入りました。
しかし楽しくて仕方ない私は、友達とお姉さんが寝た後も、寝付けずにいました。
友達にひそひそ声で話しかけても返事はありません。
妙に真っ暗で、隣にいるはずの友達の顔も見えません。
自分以外の時間がとまったような、世界に自分一人だけとりのこされたような、そんな錯覚に陥るくらい静かで真っ暗な夜でした。
誰かが僕を呼んでいる
さすがの私もうとうとしはじめて、もうちょっとで眠りにつける、そんな時に、誰かに呼ばれたような気がしました。
男とも女ともとれるような、誰の声かわからないけど、どこか落ち着く、安心するような声で、ただ私の名前を呼んでいます。
気にはなりましたが、すっかり睡眠体制に入っている私には、その声がだんだんと遠くなっていきます。そのまま私は眠りに落ちました。
友達に後から聞いた話によると、朝、私は突然目ざめ、開口一番「おじいちゃん!」と叫んだようです。
そしてその後、わんわん泣き出したとの事でした。
そのあたりの記憶はおぼろげなのですが、その後、友達の家に一本の電話がかかってきました。
私の母からです。
祖父が急死したのと事で、私はすぐ家に帰る事になりました。
今まであんなに元気だった祖父が、これといった病気でもなかった祖父がなぜ急に亡くなったのか不思議に思っていましたが、どうやら急性の心筋梗塞のようでした。
つまり祖父の死は誰にも予測できなかったという事になります。
なのに私は、祖父が亡くなったのを知っていたかのように、おじいちゃん、おじいちゃんと叫びながら泣いていたそうです。
おじいちゃんが見守っている
夜、私がうとうとしながら聞いていた声、あれは祖父のものだったのではないかと思います。
大和言葉で「虫のしらせ」というのがありますが、あのときの声は祖父からの「虫のしらせ」である気がしてなりません。
祖父が私に、お別れの挨拶をしに来たのではないかと。私が霊というものを信じるのは、このような出来事があったからです。
映画やドラマなどで見るような、怖い霊ではなく、どこか暖かい、そんな霊なら別にいてもいいじゃないかと、今でも思っています。
余談ですが、祖父の葬式の際、祖父の友人知人その他関係者たちと、私の家族で祖父について談話していると、急に祖父の遺影の額ががたたん!と落ちてきて、お供えもののお菓子の前で止まりました。
単なる偶然かもしれませんが、おじいちゃんはお饅頭が好きだったからね、今もまだ食べたいんじゃないかしら、と母は笑っていました。
私は、この現象を見て確信したものです。
祖父の魂はまだこの家の中にいる、と。
そうだったらいいな、という希望的観測も入っていましたが、まだおじいちゃんは私たちを見守ってくれているんだと、固く信じました。