誰もが一度や二度は人生において、失敗を経験します。
受験や就職での失敗。人間関係での失敗。事故を起こしてしまったことなど、あらゆる場面で、失敗は起きます。重要なことは、その失敗から何を学んで、自分がどう変わり、その後の人生にどう生かせるようになったのかが重要です。
失敗をしたからといって、いつまでも落ち込む必要はありません。若いときにありがちなのですが、自分は二度とこのような失敗をしないんだという根拠のない自信で、失敗をよく分析もせず、記憶の底に埋もれさせてしまうことは危険な行為です。
中高年になってからは、それまでの人生で失敗に対してどのように対処してきかが重要となってきます。失敗に対して、原因を分析して対策を講じる。難しく考える必要はありませんが、自分ができる範囲でこのようなことはやっておく必要があります。
そうすることで、自分の行為の先に失敗が予測されるとき、その大きさや周囲に与える影響をある程度予測できるようになり、失敗を恐れずに物事に対処することができるのです。
万が一、失敗したときも素早くリカバリーし、影響を最小限にとどめることができるようになるものです。
登山での失敗体験
結婚後まもない30代のころ、会社の仕事もそれほど忙しくなく。私は、とある休日に妻と関東近郊の山へハイキングに出かけました。妻は日ごろの運動不足の解消とかいってついてきました。
季節は秋も深まった12月初めで登山道はうっすらと白くなっていました。
天気もよく、快調にしっかりと歩みをすすめ稜線にたどり着いた私たちは、いくつかのピークに到達し達成感にひたりました。
普段、運動していない我々にはいささか快調にすぎたようです。帰り道、急激に疲労感におそわれた我々は、早く帰着点に戻りたい一心で、下へ下へと降りました。
もうそろそろ登山口に戻るころですが、まだまだ道は続きます。道の様子も登ってきた道とは違って見えてきました。我々はやっと降り口を間違えたことに気づきましたが、登り返す気力も体力も我々には残っていませんでした。
妻は登山靴があわず、靴ずれにより極端に歩行速度が落ちています。やっと、車が通る車道にでましたが、これからがまだ長い道のりで、我々は体力が限界なうえに気力もほとんどなく、惰性にまかせ歩いていました。
と、後ろから一台のワゴン車が近づいてきて、妻が足をひきづっている様子を見て親切にも、車で我々の車が置いてある場所まで小一時間もかけて送ってくれたのです。
我々は消耗しきる前に助かりました。
失敗を振り返る
さて、この失敗を分析してみます。
まずは、計画性がありませんでした。
目標はどのピークとするのか、帰着は何時にするのか、体調が悪くなった時のエスケープ方法はどうするか、など計画性が皆無でした。
ただ、達成感にまかせ、いたずらに工程を長くしたことで、体力の消耗を招き、思考力が低下して、帰路を間違えたのです。
また、後行者である妻の体力や技量についても考察が未熟でした。実際くつずれで歩行が困難になっていましたし、最悪歩けなくなった場合のことも考えておくべきでした。
そして最終的には他人様の助けに頼ってしまったのです。子供でも連れてきていたらさらに大変なことになっていたかもしれません。
この失敗は私の人生にとって大きな経験となりました。
最終的な帰着点を想定して計画を立てること。
事故が起きた場合はどうするか考えておくこと。
失敗をトラウマとしないために
この失敗のことは今でも記憶に新しく、よく思い出していますが、悔やみきれないトラウマとは考えていません。
というのは、この失敗の後、私は同様の山域に単独行を何度となく繰り返したのです。
その過程で、計画し行動し、振り返り、さらに準備を綿密にして、しだいに完璧に近い形での山行が可能となっていました。冬の厳冬期を除いて、山小屋も活用しつつの縦走も何度か行ない、成功感によりこの失敗を克服しました。
今では、登山はまったく行っていませんが、いつかまたこの山域に行ってみたいという想いはあります。その時は、もちろん過去の経験や知識を総動員して、しっかり計画してから、年齢にあわせた山行をするつもりです。
わたしにとって、この失敗からの精神的リカバリは非常に重要なできごとで、それまでの、わたしの勢いに任せたせっかちな行動が変わってくる起点となったのです。
まとめ
中高年になってからは、人生に失敗が許されない場合もあります。
この年代であれば、当然に予測していなければならない危険回避ができないと命とりになります。これは特に会社生活において重要となるでしょう。
モノの事を行うには適切な時期というものがあります。自分が充実しているほかに、周囲に協調性があるか、理解者はいるか、反対意見がでたときに一旦棚上げにできるかなど、タイミングを見計らって物事を行うことが重要となってきます。
計画をたてつつ、そこに目論見や図り事をくわえつつ、自分なりのシナリオを想定することが必要なのです。
それまではじっくりと待ちなのです。あせって行動せず、じっくりと計画し、期を待つことを私は失敗から学びました。